好き…嫌い…と花をむしり取る占いは一体どこから生まれたんだろうと物思いにふけっている今日この頃です。
さて、今回のお話は「好きの反対は」というテーマでお送りします。
この話はご存じの方も多いかもしれませんね。
なので結論から言いますね。
好きの反対は「無関心」です。
え?「嫌い」じゃないの?と思う方もいらっしゃると思います。
もちろん国語的にも気持ち的にも合っていますので問題ありません。
今回は心理学的なお話として聞いてくだされば幸いです。
実は嫌いと思っている時点でどういう事が起きているか説明していきたいと思います。
まず、嫌いな人の嫌いなところを上げてみてください。
沢山出てくる方はそれくらいにしていただいて…!汗
では、嫌いな人の好きなところを上げてみてください。
…はい、ほとんど出てきませんでした。
そうですよね。
嫌いなのですから好きな部分は出てこないですよね。
でもそれって「嫌いなところだけを見ているから」ではないでしょうか。
その人の嫌な部分ばかりを見ているから嫌いなのかもしれません。
さらには嫌いフィルターをかけている状態ですので、その人がもし募金をしているところを見かけたとしても
「偽善者」「みえっぱり」
などと心無い言葉に変換してしまっているかもしれません。
人は思い込む生き物です。
その思い込みは相当に強いものです。
ですので一度嫌った人はとことん嫌いになってしまう確率が高いのです。
ですので嫌いになった人を好きになれとは言いません。
その嫌いな人をすべて知ってから嫌いになってほしいのです。
あなたはうわべだけを見て嫌いと決めつけている可能性があります。
その人の良い所をまったく見ていないし、見えないかもしれませんし、見ることを拒否しているのかもしれません。
すべて知ったうえでまだ嫌いならばそれが本当に嫌いということなのでしょう。
思う存分嫌ってください。(こんなこと書いたら怒られるかな…w)
ですが、一つでも良い所があったならばそこは認めてあげてくださいね。
ところで。
嫌いに思っている人の事って、結構よく見ていることに気づいたでしょうか。
そうなんです、実は嫌いと言う関心がある状態なのです。
なので嫌いな人の良い所が見つかって、一発逆転なんてこともあったりします。
それすら許されないのが「無関心」です。
たとえその人が良い事をしていようが、悪いことをしていようがあなたにとっては「無関心」の対象なのでいわゆる透明人間なのです。
一つの作品の中のモブのような扱いになっています。
名前すら知らないかもしれない…。
お互い無関心なのでそもそも干渉しない間柄、問題もなにもないからある意味平和なことなのかもしれませんね。
好きの気持ちがあるとその人の事を自ら見ようとします。気になって仕方がないのです。
嫌いな気持ちがあるとその人の事が視界に入ってしまいます。(違う意味で)気になって仕方がないのです。
結局その人に関心があるという共通点が生まれてしまいます。
ですので心理学的に言うと「好き」の反対は「無関心」という事になると思います。
すろぅぷ
コメント